絵画
前田玄以(1539~1602)は、織田信長や豊臣秀吉より篤【あつ】い信任を受けた武将で、もとは比叡山の僧だったとされる。関ケ原の戦い直前まで長く京都の行政にあたった。本図の原本は、玄以没後の慶長7年(1602)5月中旬に、妙心寺住持・南化玄興【なんかげんこう】によって着賛された。(鷲頭氏執筆)
明智光秀像(模本)
森田亀太郎模、原本:筆者不詳
池田恒興像(模本)
森田亀太郎模写、原本:筆者不詳
三好長慶像(模本)
森田亀太郎模