長尾雨山(ながおうざん)が大正3年(1914)、日本に帰ってから、富岡桃華(鉄斎の息子)とはかり、陰暦乙卯12月19日(大正5年1月23日)、蘇東坡の誕生日を祝して寿蘇会を開き、のち毎年恒例とした。これは、上海にあった呉昌碩(ごしょうせき)が、旧知の雨山の依頼により己未(大正9年、1920)の寿蘇会のために、自作の詩を書いて送ってきたもの。
詩翰(為雨山)
呉昌碩
詩(行書五絶・為雨山)
升允
詩(行書七律 為雨山)
王闓運