呉昌碩(ごしょうせき:1844~1927)は、浙江省安吉の人。名は俊卿。字は倉石、のち昌碩と改めた。代々文学の家がらで詩をよくし、篆刻に長じ、また画をたくみにした。久しく蘇州に住したが、辛亥革命ののち上海に閉居した。日本の書家長尾雨山は一時期上海に住んでおり、その間、呉昌碩と知りあったものと考えられ、これらの作品はその交友によって長尾家にもたらされたものと考えられる。
寿蘇詩(行書五律)
呉昌碩
擬姚燮梅花図横披
呉昌碩筆
詩(行書五絶・為雨山)
升允