66 星野眞吾(1923−1997) 白い作品・男 1968年
愛知県豊橋市に生まれ、豊川市で育つ。京都市立絵画専門学校図案科卒業後、日本画科に転じ、1948年同科を卒業し三上誠らとパンリアルを京都で結成、翌年パンリアル美術協会と改称し再出発。50年帰郷。74年同郷の中村正義らと共に从会結成。77年パンリアル美術協会を退会。85年福井県立美術館で三上との二人展、96年豊橋市美術博物館、新潟市美術館で個展。
1964年の父の死を契機に、星野は身体に糊を塗って紙に押しあて、乾燥する前に岩絵具を振りかけて作る人間拓本、「人拓」を生み出し、以後これが主要モチーフとなる。触覚性への関心や象徴性への好みを底流に持ちつつ、日本画材を用いた試行的表現を重ねていた星野にとって人拓は、触覚性と視覚性、具体性と抽象性、現実性と象徴性の共存する格好の手法であった。顔まであるこの作品は、人拓自体が真正面からモチーフとなった純度の高い作例の一つ。