旧古河別邸(陸奥宗光別邸跡) 1棟 附 敷地 2筆 きゅうふるかわべってい むつむねみつべっていあと いっとう つけたり しきち ふたふで

建造物 城郭建築 / 昭和以降

  • 神奈川県
  • 昭和 / 1930
  • 木造平屋建 入母屋造・一部寄棟造、桟瓦葺 漆喰塗・腰杉皮張りまたは下見板張り・堅板張り
  • 推定最高高さ:6,368m
    延床面積:367.56㎡(約111.19坪)
    敷地は旧古河別邸(陸奥宗光別邸跡)と合算して23,694.83㎡
  • 1棟
  • 神奈川県中郡大磯町東小磯285番
  • 大磯町指定
    指定年月日:20200821
  • 国土交通省関東地方整備局国営昭和記念公園事務所長
  • 有形文化財(建造物)

本別邸は、第二次伊藤博文内閣で外務大臣を務めた陸奥宗光(1844-1897)が、明治27年(1894)に沖守固(元神奈川県令、当時和歌山県知事)の旧所有地約1497坪を購入したことに始まる。陸奥は、明治29年(1896)に病のため外務大臣を退官、大磯別邸で療養生活を送った。療養中、やはり大磯に別荘を持った腹心の原敬や、伊藤博文・西園寺公望などの訪問を迎え、また自身の外交記録をまとめた「蹇蹇録」の原稿の口述筆記を行ったと伝える。近隣には山縣有朋の別荘「小淘庵」があり、松林で山縣有朋と陸奥一家が憩う写真が残されている。
この創建当初の別邸の姿は、明治 30 年代初頭の家屋台帳と付属の「家屋位置建物図」(大磯町所蔵)、および明治40年以前とみられる「相州大磯町古河市兵衛別荘平面図」(都立中央図書館木子文庫所蔵)から知られる。主屋は、草葺平屋、生活空間と座敷をL字に接続した70坪弱の建物で、敷地の北東隅に門を構え、東面に玄関を設けていた。
翌明治30年(1897)8月に陸奥宗光が没した後、大磯別邸は妻の亮子が相続、さらに明治33年(1900)の亮子夫人没後は、長男廣吉と次男潤吉に継承された。ただし、廣吉は外交官として明治31年(1888)から米国に赴任、潤吉は古河市兵衛の養嗣子となっていた。『古河虎之助君伝』(昭和28年)によれば「明治三十年市兵衛翁は陸奥老伯の別荘であった大磯の海岸に面する土地五六〇〇余坪とその建家を譲受け」たとあり、また明治33年(1900)2〜4月に隣接する大隈別邸と共に皇女常宮・周宮両内親王が滞在した際、新聞記事に「古河別邸」と記載されていることから、既に明治30年頃から古河家の別邸として利用されていた可能性が高い。

旧古河別邸(陸奥宗光別邸跡) 1棟 附 敷地 2筆

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