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赤い空
Red Sky
1956年
油彩・麻布
116.5×91.0cm
右下に署名:ASO
1956年 第20回自由美術展
この絵が描かれたころ、麻生三郎は隅田川沿いに住んでいた。画家自身の言葉によれば、「赤い空というのは都会の重い空で、重い空間のかさなりあいである。大川〔隅田川下流〕に沿って歩いているとこの赤い空が判る。人間の体臭のようなそして触覚的な風景である。《赤い空》の連作は生物的な人間臭い風景と人間たちのふれあう空気が描かせた。言葉の表現はどうでもよいがただからだで感じたものだ。そしてその場所から逃れることのできない重圧と圧迫が強く、なにものかに対する強い反撥反抗があるのは実感だ」(「武蔵野美術学校・実技研究」1956年、『絵そして人、時』に所収)。戦後の困難な時代の、まさに出口なしの状況。「《赤い空》は風景であるが人間像が拡大されたのだ。」しかしながら、ここには絶望はない。たとえその輝きは鈍くとも、まがりなりにも太陽が、芽ぶきつつある草花が、ようするに希望があり、人間は異様に大きな足で立ち正面を見据えている。