歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸 明治
明治8年(1875)、寛永寺の根本中堂跡が博物館建設予定地となった。しかし、初代館長となる博物局の町田久成【まちだひさなり】の申し出により、同9年に内務卿大久保利通【ないむきょうおおくぼとしみち】は「陸軍省御用地」の本坊跡について太政大臣の裁可を得た。博物館建設直前の上野公園付近の状況を伝える資料である。(高橋裕次氏執筆、20150421_h15)
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東京上野公園地実測図
後藤義正編、中嶋正厚画
東叡山之図
博物局額字
町田久成筆