歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 大正
明治33年(1900)に、和歌山~五条間の紀和鉄道が全通したことにより、高野山への参詣客・観光客で山麓の高野口はにぎわうようになった。大正11年(1922)には、高野登山自動車会社が高野口駅から中腹の椎出間で乗合自動車(バス)の営業を開始し、昭和4年(1929)には、高野山電気鉄道が極楽橋まで鉄道を延長するなど、高野山に至る交通機関はめまぐるしく変化をみせた。この資料は、乗合自動車が営業を開始した直後の時期に、高野山の宿坊の一つ・地蔵院を参詣客に宣伝したポスターである。
「高岡-戸出-出町乗合自動車時刻表」
〔印刷〕戸出・吉田文華堂
南海電気鉄道鋼索線高野山駅駅舎
「高岡付近ゆうらん」リーフレット
印行:金沢市・大村精版印刷合資会社