東京帝国大学工科大学機械工学科教授の井口在屋(いのくちありや)(一八五六~一九二三)が研究した理論に基づき、教え子の畠山一清(一八八一~一九七一)が所属する合資会社国友機械製作所が明治四十五年に製造した渦巻ポンプである。
井口在屋は明治十五年に工部大学校機械科を首席で卒業し、同二十九年に帝国大学教授となった。機械要素、機械力学、流体力学、材料力学など多くの分野に優れた業績を残し、機械学会(現・一般社団法人日本機械学会)の創立や機械工学術語集づくりに中心的役割を果たした。井口は明治三十八年に「渦巻ポンプの研究」を発表した。同論文は欧米の研究を統一的にまとめ、ポンプの損失を体系的に分析し、羽根車の作用をもとに理論的に効率を求め、複数の事例について設計の良否を検討したものである。開成学校にて機械学の教授を務めた経歴をもつロバート・ヘンリー・スミスは、英国の雑誌『The Engineer』(一九〇五年九月二十二日刊)誌上において、同論文を採り上げ、「セントリフューガルポンプ(渦巻ポンプ)」の新設計を論じた最も有効な内容で、その実験結果は欧米の製品に比して差が歴然であると賞賛した。
本ポンプは、鉄製、鋳造、両吸込式の渦巻ポンプである。中心近くの両側にすべり軸受を設け主軸(回転軸)を配置し、主軸に取り付けられた左右二つの羽根車(羽根数一二枚)を回転させる機構をもつ。羽根車の周囲には固定された案内羽根が設けられ、その外側には末広形の環状の渦巻室が作られる。水は吸込口から吸込管を経て、本体左右両側から羽根車に導かれる。その後、回転する羽根車、固定される案内羽根の隙間をくぐり抜け、環状の渦巻室を経て吐出口に至る。この構造により、水の旋回運動または速度の変化により生じる損失が減じられ、運動エネルギーを損失少なく圧力エネルギーに変換することができ、ポンプ効率の向上を達成した。
本ポンプはその優れた機能性により二〇世紀前半を中心に多量に製造され、農業、鉱工業など諸産業の発展や、上下水道など生活基盤の充実に貢献した井口式渦巻ポンプの最初期かつ現存最古の伝存例である。また、教官が西洋の渦巻ポンプの理論を整理、体系化し、弟子が製品化、量産化を達成した高等教育モデルの成功例でもあり、我が国の機械工学史、社会経済史上に重要である。