当薬師如来は、東三ツ木の開祖三木和泉守国重の守護仏として伝来した像で、「東方薬師」と称され、行基一刀三礼の作の霊像と伝える。国重は本姓金子氏、正慶1332~34)の頃、執権北条高時の配下として新田氏との戦いに出陣し敗れ、没落して入間郡金子領三ツ木村(入間市西三ツ木)に居住し、姓を三ツ木と改めた。兵火で家屋敷・財産の一切を失い、祈願篤かった守護仏を求め屋敷の焼け跡で仮眠していたところ、夢枕に薬師如来が現れ無事と所在の場所を告げたので、早速探しあて旧地に安置せんとしたが、再び夢に薬師如来が現れて、「往来に近く万民を守護するに易きため当所にとどまる」と告げたため、この地に薬師堂を建てて安置し、国重一族も併せて当地に移住して新たに村を切り拓き、「東三ツ木」と名付けた。「東方薬師」の名は、薬師の告により元の所在地西三ツ木村より東方の当地に像を移したことに由来する。