鉄道省営乗合自動車 てつどうしょうえいのりあいじどうしゃ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 昭和以降

  • 愛知県
  • 昭和時代 / 1930
  • 全長 約六九八〇ミリメートル
    全幅 約二一三〇ミリメートル
    全高 約二五三〇ミリメートル
  • 1両
  • 愛知県名古屋市港区金城ふ頭三―二―二
  • 重文指定年月日:20220322
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 東海旅客鉄道株式会社
  • 国宝・重要文化財(美術品)

昭和五年(一九三〇)、鉄道省は岡崎(愛知県)~多治見(岐阜県)間約六六キロメートル、及び途中の瀬戸記念橋~高蔵寺(共に愛知県)間約一〇キロメートルに初めて乗合自動車を運行した。本車輌は鉄道省主導のもと東京瓦斯電気工業株式会社(現いすゞ自動車株式会社、一部は日野自動車株式会社など)が製造した車輌で、同区間に最初に導入された七両のうち現存する唯一の車輌である。昭和十二年四月まで使用され、走行キロ数は二十五万キロメートルに達した。
車輌は、鉄道省工作局内に設置された国産自動車設計委員会のもとに官民共同で製造された。形状は流線型を採用し、従来の乗合自動車が一般に木骨木板張りか木骨アルミニウム張りであった中、鉄骨鉄板張を採用し、鉄骨組に筋交いを入れて補強し、安全性、耐久性を高めた。また、低床式シャシーを採用するなど快適な乗降車を図った。車体も大型化され、従来の車輌が全幅約一・八メートルであったのに対して、全幅約二・一メートルとし、定員を座席数のみで二〇名、立席を含め三〇名として、輸送能力を向上させた。シャシー形式はMP型(鉄道省型)で、日本初となる直列六気筒の東京瓦斯電気工業株式会社製P型ガソリン機関(実馬力三七馬力、回転数一、一〇〇RPM、排気量四、七三〇CC、「国鉄バス一号履歴」)を搭載した。車輌は点火装置、発電機など一部を除き、国産化を達成した。
車輌の保守・点検は岡崎車庫における自区修繕を基本とした。運行当初に多く生じた車輌故障に対し、鉄道省と製造会社はその原因を追及するとともに、各部品の品質保証制度を構築し、のちの部品の品質向上、規格化につなげた点も評価される。
以上のとおり、本車輌は官民共同にてほぼ国産化を達成した旅客用の大型乗合自動車車輌で、後継車輌の製造の礎となった。また、鉄道省は試行錯誤のなかで本形式の保守点検や修理の方法を工夫し、乗合自動車事業を広域に成立させる上で様々な制度や仕組みを整備した。わが国における乗合自動車事業が発展していく上で、また乗用車を含めた自動車一般の国産化において多大な貢献を果たした本車輌の先駆性や規範性は高く評価され、交通史上、産業技術史上に価値が高い。

鉄道省営乗合自動車

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