西島松5遺跡は、石狩平野のほぼ中央にあり、擦文時代前半(7〜9世紀頃)の土坑墓や周溝墓が多数発見された遺跡である。
特に8世紀前半までにつくられた土坑墓からは副葬品が豊富に出土し、大刀や刀子 、鉄鏃、工具類などの鉄製品は、道内諸遺跡の出土品と比べ種類、数量とも群を抜く。なかでも刀類は、木製黒漆塗りの柄や鞘、その上に
巻かれた糸や樹皮、身に帯びるための革紐や組紐など、有機質痕跡が良好に残り、使用された当時の姿や製作方法を知ることができる貴重な遺例である。また、大刀には畿内で製作された金銀装の装飾付大刀、東北北部の末期古墳に副葬される蕨手刀や短寸の方頭大刀があり、北海道中央部と本州との関係性を明瞭に示す。東北北部との繋がりは、錫製の耳環や、柄や鞘を錫鋲で装飾する大刀の存在からも注目される。
土坑墓の壁には小さな坑が設けられ、そのなかには甕や注口土器などが納められていた。これらは総じて小形で、多くはうつわの口や底の一部が意図的に打ち欠かれている。副葬に際しての、葬送用の土器を打ち欠く儀礼
行為を復元することができよう。