40
塔
Tower
1957(昭和32)年
紙本彩色、額 317×134cm
co1or on paper, framed
第29回青龍社展
1957年秋の青龍社展に出品された作品である。この年の春、谷中天王寺の国宝五重塔が焼失した。当時下谷鴬谷のネオンサインエ場でデザイナーとして働き、そこを画室としていた横山操は、さっそく駆けつけてその残骸を描いた。師の川端龍子に、やはり時の話題に機敏に応じた〈金閣炎上〉(1950年)があるが、横山が描いたのは、一目では塔とわからないほどに変わり果てたその凄惨な姿であった。前年の第1回個展(銀座・松坂屋)に出品した〈網〉〈川〉〈熔鉱炉〉などの大作群や、同年に青龍賞を受けた〈炎々桜島〉は、大画面に見合う太い水墨の線ー主に直線ーによって事物や空間を組み立て、要所に朱や赤を置く彼の1950年代から1960年代はじめにかけてのスタイルを確立するものであった。〈塔〉では、画面いっぱいにモティーフを描ききることによって、そうしたスタイルの特性は純化され、ちょうど同時期に起こったアイフォルメルや抽象表現主義を思わせる、抽象度の高い画面となっている。