無準師範墨蹟〈山門疏/(絹本)〉 ぶじゅんしばんぼくせき

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  • 東京都
  • 南宋
  • 1幅
  • 東京都世田谷区上野毛3-9-25
  • 重文指定年月日:
    国宝指定年月日:19640526
    登録年月日:
  • 公益財団法人五島美術館
  • 国宝・重要文化財(美術品)

無準師範【ぶじゆんしばん】(仏鑑禅師)は南末の禅林を代表する一人で、円覚寺の無学祖元【むがくそげん】(仏光禅師)、東福寺の円爾弁円【えんにべんえん】(聖一国師)などいずれもその法流から出ており、日本の禅宗に大きな交渉をもった人である。彼の住持の径山【きんざん】が紹定六年(一二三三)再度炎上した後、これをふたたび復興し、また寺を去る四十里の地に往来の雲水を接待するために一院をたてた。時の皇帝理宗はこれに勅額を与えて「万年正続之院」と名づけ、寺領を下賜したが、右の経由を略述して朝恩を謝し、あわせて大仏宝殿など未成就の仏殿建設に大檀那の勧縁を切望したのが、この山門疏【さんもんのそ】である。絹本の大幅に雄渾な筆致をみせた師範墨蹟中の代表で、さきに国宝に指定された京都東福寺の円爾印可状や東京国立博物館の尺牘【せきとく】(板渡の墨蹟とよばれる)とならぶ貴重な遺品である。

無準師範墨蹟〈山門疏/(絹本)〉

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