S45-5-118[[津島遺跡]つしまいせき].txt: 津島遺跡は、戦前から練兵場遺跡、または上伊福遺跡という名で知られていたが、遺跡の大部分は、練兵場、ひきつづいて県営総合グラウンドの用地として使用されていたため、その実態は明らかではなかった。昭和37年度に国庫補助事業としてグラウンド中央部の池の部分を発掘した際、弥生時代前期の低地性遺跡であることが明らかにされた。
その後、昭和43年度から44年度にかけて、県立武道館建設に際して発掘調査が実施され、弥生時代から、古代に至る各時代の種々の遺構が発見された。
なかでも、弥生時代前期前半の円形住居跡・倉庫と考えられる方形の建物跡や、水田水路が発見され、旭川のデルタ地帯に形成された微高地に集落が営まれ、それに近接した低湿地で水田が営まれていたことが判明した点は、わが国の水稲耕作初期の実態を初めて明らかにした点で重要なことといえよう。指定する範囲は昭和37年度の調査、および43、44年度の調査によって明らかとなった遺構を含む地域、すなわち主としてグラウンド中央緑地帯の部分である。指定により、一昨年春以来、武道館建設に端を発して大いに世間の耳目をあつめた津島遺跡の問題も一応の落着をみることとなったのである。