大徳寺唐門
大徳寺は宗峰妙超(一二八二~一三三七)を開山とする禅宗寺院で、唐門はもと聚楽第の一門であったものを、天正年間(一五七三~九二)に秀吉が村上周防守に与え、周防が寄付したものと伝えられるが、確実な資料はない。その後の沿革も明らかでないが、明治二十四年の図によると、現在の勅使門(重要文化財)の西に東面しており、明智門を金地院に移した際にその跡へ移築し、現在のように方丈の表門として南面して建てられている。
この門は切妻造、前後に軒唐破風付、檜皮葺の四脚門で、その様式手法は明らかに桃山時代を示しており、各部にはきわめて豊麗な彫刻装飾を施し、しかも形式的な誇張がなく、自由奔放な表現であり、桃山時代を代表する建築である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)