東福寺三門 一棟
東福寺は藤原道家が嘉禎二年(一二三六)に創立したころであるが、元応元年(一三一九)、建武元年(一三三四)、同三年の火災にあい、三門はその後再建されたものである。昭和四十四~五十二年の解体修理で発見された墨書などによって、屋根瓦葺や二重の造作が応永十二~二十年(一四〇五~一三)頃まで行われていたことが判明した。その後天正十三年(一五八五)の地震で傾いたので秀吉が修復し、寛政四年(一七九二)にも修理があった。
門は本瓦葺の五間三戸二階二重門であって、二階内部は一面に彩画を施し、十六羅漢像を安置している。門の左右両側には山廊を付けている。この門の特徴は禅宗寺院でありながら純枠な禅宗様でなく、構造からいえばむしろ大仏様であることである。これは再建に際してもその様式が伝えられたと思われるのであって、このため木割は太く、雄大な感があり、日本建築の中でも異色あるものとなっている。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)