醍醐寺五重塔 一基
五重塔は金堂(焼失)とともに承平年間(九三一~九三八)に計画されたが、二十年の長い年月を経た後、天暦六年(九五二)に至って竣工したもので、平安時代中期を代表する貴重な遺構である。木割は太く手法もまた雄大で堂々としている。昭和二十九~三十四年度の解体修理により、各部に復原が行われたが、その結果組物がまだ完成した三手先となっていないことが判明したのは、重要なことであった。
また細部の手法や装飾の絵画などにも時代の好尚が現れている。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)