醍醐寺金堂 一棟
醍醐寺は聖宝(八三二~九〇九)を開山とし、醍醐、朱雀、村上三天皇の御願によって建立された寺院である。山下伽藍は、金堂のほか六十間の廻廊、中門、鐘楼、経蔵、五重塔(国宝)をそなえた平地式の整然とした配置であり、金堂は五間四面、礼堂つきの規模をもっていた。以後金堂は永仁三年(一二九五)と文明二年(一四七〇)に焼失したことがあった。のち豊臣秀吉が再建に着手し、慶長三年に紀州湯浅から堂の移建を始め、秀吉の死にあいながらも、同五年(一六〇〇)工事を完了した。これが現在の金堂である。この金堂が湯浅に建立された年代は不明であるが、主要部は平安時代後期の様式を示している。桁行七間、梁間五間の大規模な堂で、方三間の内陣は天井を一段高く折上げ、その左右に一間通りの脇陣をつけ、さらに四面に入側を廻した平面構成である。入側のうち正面は柱間を拡げているが、この拡張はすでに鎌倉時代に行われたものらしい。しかしほかの部分は組物、虹梁など、建立当時の様式をよく残している。いずれにしても平安時代後期の遺構のうち最も大規模な建築である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)