明治政府は明治2年(1869)に海外旅行免状の制を定め、翌年に海外留学規則を制定して留学制度の確立を図った。本資料はその翌年に鍋島直大佐賀藩知事が弁官に宛てて提出した洋行願い書。「西洋開化文明の諸国遊歴を遂げ、現地の景況を目撃采訪し、益異聞を推拡し候て十分藩政相整度候」として、西洋の文明諸国を視察する目的は藩政に活かすためであると述べている。
この願いは許可されたが、直後に父の10代鍋島直正(閑叟/1814~81)が逝去したため取り止めとなった。のち直大は、同年11月に岩倉使節団と共にアメリカ号で横浜を出港し、イギリス留学を果たした。