桜島(青)

絵画 油彩画

  • 梅原龍三郎  (1888-1986)
  • ウメハラ、リュウザブロウ
  • 昭和10年 / 1935
  • 油彩・キャンバス・額・1面
  • 65.5×80.5
  • 10回国画会展(「桜島の青(一)」) 東京府美術館 1935

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桜島(青)1935午
油彩・キャンバス
65.5×80.5cm
1935 第10回国画会展〈桜島の青(一)〉
東京国立近代美術館蔵

Mt. Sakurajima(Blue)
1935
oil on canvas
65.5×80.5cm
The National Museum of Modern Art, Tokyo

梅原が、初めて鹿児島の地を訪れたのは、1934年1月のことだが、「煙を吐くベスビオを眺めるナポリの宿の食堂で偶然食卓を共にした日本人の話に此美感に桜島の景色が似てゐると聞き自分の行つて見るべき処だなと思つた。」(1)と述べるように、2回目の渡欧の折り、すなわち1921年にナポリを訪れたときからの念願でもあった。実際にいってみると、ナポリのヴェスヴィオ山に「匹敵する風光」であり、この年のはじめに再訪して制作されたのが、この作品と《桜島の朝》(no.57)である。鹿児島市内の旅館に滞在、その部屋から一望される桜島と海と市街を、時間をかえて連作しているが、その変化の模様をつづけてつぎのように語っている。
「東に面する桜島は朝青くタは燃える様に赤い、憤煙は時に濃く時に淡い、朝など濃藍の空と山の間に白く見える事もある。空の色海の色緑の色の光り強く美しき事我国内地に此処に匹敵する処を自分は未だ知らない。」
このように、雄大な桜島を前に、「刻々の変化絶え間なき色彩の交響楽にしたる心地」にあった画家は、まさに陶酔し、変化する自然の一時の印象を直感的にとらえ、それを色彩と奔放な筆致によって表現しようとしている。

(1)梅原龍三郎「桜島の美観」、『日本美術』1巻4号(1942年8月)、p.62

桜島(青)

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