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北京秋天
Autumn in Peking
1942年
油彩その他・紙 88.5×72.5cm
1939年に満州国美術展の審査に招かれて渡満した梅原は、その帰途はじめて北京を訪れて以来、すっかりこの大陸の古都の美しさに魅せられてしまい、43年まで毎年同地を訪れては制作に励んでいる。
梅原が、風景画の領域で独自の表現を切りひらいたのは35年ころのことだが、それらは、大別すると二つの傾向に分けられよう。ひとつは、桜島などの山体を正面から、水平に、簡潔なフォルムへとまとめたものであり、いまひとつは、多様なる自然の延び拡がるさまを俯瞰的に捉えたものである。前者が、自然の内に潜む活力をその集中性において表すとすれば、後者は、それを遍在するものとして表す。ちなみに、色彩家としての梅原の本領が発揮されるのはむしろ後者の方であって、それらにみられる、拡がりのある生きた空間の感じは、パースペクティヴの問題を別にすれば、色とりどりの色彩の細部に託された、そうした活力の遍在感に負うところが大きいのである。
さて、梅原は、北京滞在中、緑のなかに朱の甍(いらか)が散在する市街の情景を俯瞰した多くの風景画を描いているが、この作品は、秋の空そのものを表現の中心においた、他にほとんど例のない作品である。大地に沿って空間が延び拡がるというよりは、空一天蓋一が手前に向かって高く抜けてゆくかのような爽快感をおぼえるが、そうした効果の一切は、秋空の色と、紙のうえを走る筆勢の表現とによる。このうえなく単純な構図と相まって、風景画の粋ともいうべき空間感情そのものをテーマにしたようなところのある作品である。