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梅原龍三郎
UMEHARA,Ryuzaburo
1888−
静物(青磁鉢梨林檎)
Stitl life;Blue glaze bowt with pears and apples
1927年
油彩・キャンヴァス
30.2×43.8cm
東京国立近代美術館所蔵
京都市生まれ。伊藤快彦,浅井忠に師事,関西美術院に学ぶ。1908年5月渡仏。パリに着いた翌日リュクサンプール美術館で印象派の中でもとりわけルノワールの作品に求めていた絵を見出し,生涯を決定づけられた。翌春南仏カーニュにルノワールを訪ね,師弟の交わりが始まった。華麗豊潤な色彩で官能美の極致を描くルノワールの画風は画家梅原の資質を引出し,開花させ,後年の絢爛豪快な桃山芸術にも比すべき固有の色と形をもつ梅原様式を創造する基礎を築いた。ルノワールのすすめで,通学していたアカデミー・ジュリアンからアカデミー・ランソンに転校して勉学するかたわら,南仏,ナポリ,スペイン等を旅行,トレドではグレコのデフォルマシオンを学びとった。1913年7月帰国,10月ヴィナス倶楽部で滞欧作110点による個展を開催し,一躍注目されるところとなった。1920−21年再渡仏,主に南仏で制作。二科会,春陽会を経て1925年国画創作協会洋画部に参加し,国画会に改組後はその中心となって活躍,1952年名誉会員となった。1944−52年東京芸術大学教授。1952年文化勲章を受けた。なお,戦後もたびたび渡仏し,南仏で制作している。
この〈静物(青磁鉢梨林檎)〉を描いた頃,梅原は1926年川島理一郎と国画創作協会に入って洋画部を創設,1928年には国画創作協会日本画部の解散にともない,洋画部を国面会と改称,これを主宰している。こうした活動を通じて,ルノワール直系の豊麗な色感を土台に出発した梅原は,その手法を日本の風景や人物像に溶けこませ,装飾感覚にあふれる独自の画風を作り上げていく。これはその過渡期に位置する作品である。