法隆寺東院伝法堂 一棟
夢殿を中心仏殿とする東院伽藍の講堂にあたり、天平末年ごろ聖武天皇の夫人であった橘夫人が施入したと『資財帳』に記される。
昭和一三‐一七年に行われた解体修理のさい画期的といえる徹底的な調査で、当時の高級貴族住宅の一棟を仏堂風に改め講堂にしたことがわかり、記述の確かなことが実証された。
その調査結果によると前身建物は桁行五間、梁間四間の規模をもった切妻造、妻入、桧皮葺の建物で、後方三間分は比較的閉鎖性の強い部屋に、前方二間分は開放的な部屋に機能が分化されていて、全面床板張りのうえに、正面には幅ほぼ六メートルの簀子縁がついていたという。まさに宮殿もしくは貴族の邸宅にふさわしく、古代の高級住宅を考えるうえで、その存在は貴重である。
これを講堂として移築した時、新たに材料を加えて桁行を七間にのばし、間仕切りも左右対称の形に改め、また屋根を桧皮葺から瓦葺にするなど、各所に手を加えて仏堂風に仕立てなおした。しかし、今みる堂姿には改造による違和感はない。これは、もとの住宅建築そのものが、仏堂に匹敵するだけの正統的作品であったことを物語っているといえよう。
なお、堂内に吊るす三個の天蓋もみるべきもので、もとは柱や浜床を備えた御帳台風の厨子であり、ともに天平時代の作として評価されている。
【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五)