唐招提寺講堂 一棟
この講堂は和銅遷都の時(七一〇)造営された平城宮朝堂院朝集殿を移建し改造したものである。朝集殿の時は、桁行九間、梁間四間、切妻造で前面を吹放ちとし、組物は大斗肘木であったが、移建にあたって、入母屋造に改め、組物を三斗組とし、間斗束を入れ、天井を張るなどの改造が行われた。その後鎌倉時代及び江戸時代にも修理があり、屋根を急にし、向拝及び高欄を撤去したほか、柱、組物、窓など各所に改変が加えられて今日に及んでいる。このため現状は当初の状態とはかなり変化しているが、奈良時代の宮殿建築遺構としては唯一のものであり、また当代の講堂としても、ほかに法隆寺東院伝法堂(国宝)に例をみるだけであるので、貴重な遺構である。
なお明治の修理の際一部取りはずして保存されている蟇股は、朝集殿時代には虹梁の上に用いられ、移建の時に二つに割られて側回りの間斗束下に用いられたもので、下面に墨書の番付(番号)があり、これによって西向きの建物(東朝集殿)であったことが推定される。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)