甲斐善光寺の本尊である。左脇侍像の足〓に建久六年(一一九五)の刻銘があり製作の年次がわかる。この年は善光寺の沙門定尊が夢の告げによって等身模像造顕を発願した時に当たり、本像がそれに凝せられている。伝承はさておいても本像は鎌倉時代に盛行したいわゆる善光寺三尊模造の先躯をなすもので、しかもこれら模造中ぬきんでて大きくかつ甚だ異色に富んでいる。細部の象形は必ずしも巧みとはいえないが、中尊像などは偉風堂々たるもので、一種粗毫な古様を示している。一方三躯共両手を除いて一瀉に鋳成する鋳抜はまことに巧みで、純銅に近い銅質と厚い鍍金は十三世紀金銅仏中類稀なものといえよう。