銅造千手観音立像

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19840606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 那古寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 十一面四十二臂の千手観音立像である。髻から足〓までを肉薄く一鋳とし、頭上面(現状亡失)と合掌・宝鉢手、左右各三列の脇手を別に鋳造して取付ける構造で、概して鋳上がりはよく、一部に当初の鍍金が残っている。
 その引き締まった肉取りやにぎやかな衣文の構成などは、鎌倉初期の慶派に学んだものである。やや重苦しい表情、肩先と腹部をつよく突き出した体躯のつくりには、一種地方的な趣とともに作家の個性が窺われ、十三世紀前半に制作された金銅仏の優品として推賞される。
 脇手右前列の接合部には、願主のものと思われる「平胤時」という人名が刻まれているが、これは『千葉系図』に源頼朝の御家人千葉常胤の孫とある千葉八郎胤時に当てることができよう。千葉胤時は、『吾妻鏡』に嘉禎三年(一二三七)から宝治元年(一二四七)に至る間、九回にわたり将軍に供奉する騎馬の随兵として見え、また、この時期に行われた香取社の造営に関する文書によって、下総国匝瑳北条【そうさほうじよう】庄(千葉県八日市場市及び香取郡干潟町の一部)の在地領主であったことが知られる。

銅造千手観音立像

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