細川頼之が応安元年(一三六八)に建立した当院に安置される髪際高八寸の金銅千手観音坐像である。近世の伝承に、頼之の室玉洲の念持仏という。
髻頂仏面から両脚部までを一鋳とし、これに各別鋳の頭上面と合掌・宝鉢手、前後に六・七・六臂の三列とする左右脇手を〓【ほぞ】で取り付ける鎌倉彫刻に通例の構造ながら、鋳技、彫技共にきわめて熟達し、腰を細くしぼり膝を広く張り出して長い脇手との均衡をはかる全体観は、形よく整って抑揚に富む。膝頭を軽快に反り上げた両脚部の形、その写実と装飾性とのバランスがとれた衣文表現にも巧技を生かした細やかな作風がみてとれ、制作時期は十三世紀半ばを下らないものと思われる。
造像時の鍍金が残り、持物の一部、光背の全容をも具備している。鎌倉小金銅仏中、屈指の精作として、その価値は高い。