木造浄業坐像

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19920622
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 戒光寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 浄業(曇照律師、一一八七-一二五九)は建保三年(一二一五)入宋して戒律を究め、帰国後貞応二年(一二二三)頃、戒光寺を建立、律学道場とし、泉涌寺の俊〓のいわゆる北京律の開創に続いて京都における戒律復興に貢献した。のち再度入宋、帰朝後正元元年(一二五九)七三歳で示寂した。
 戒光寺は五メートルを超える本尊釈迦如来立像(重文)で名高い。当初八条猪熊にあったが移転を繰り返し、現在地へ移ったのは江戸初期である。本像は本堂左の間に安置される檜材の寄木造、玉眼嵌入の彩色像で、前後二材製の頭部をこれも前後二材よりなる体幹部に〓差しとし、両体側、両足部等を矧ぎ寄せる構造になる。
 背をかがめ合掌する姿は晩年、静室で念仏三昧に専心したという様子を写したものであろう。椅子に坐り、垂裳を巡らす形制は禅宗のいわゆる頂相【ちんそう】彫刻と共通するが、両袖を前方に大きく懸け、袈裟の末端を左側方に長く垂らす点は類例を見ない。面長で鼻梁や口唇の薄い女性的な風貌に、微笑するかのごとき穏やかな表情を浮かべるさまが神経の細やかな写実的手法で表される。また丸めた背筋の線と、前方に懸かる両袖の大胆な扱いにより像の側面観に大きな動きが与えられている点も注目すべきである。その制作年代は浄業示寂の正元元年をさほど降らぬ頃と見てよかろう。律宗僧侶の肖像彫刻はあまり遺品に恵まれないが、本像はその最も早い頃の、しかも優れた作例として貴重である。

木造浄業坐像

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