法燈国師無本覚心【ほうとうこくしむほんかくしん】(1207-98)所用の袈裟である。覚心はわが国で禅宗が興隆しつつあった鎌倉時代中期に近畿地方を中心に活動した禅僧。建長元年(1249)に入宋し、帰国後は和歌山県由良の西方寺(現在の興国寺)を拠点に法燈派【ほつとうは】と呼ばれる臨済宗の一派をなした。弘安八年(1285)、京都北山の妙光寺の開山に迎えられている。
中国から舶載された、いわゆる唐綾を用いた九条袈裟。墨書は、覚心自筆の正応五年(1292)の重文・誓度院規式【せいどいんきしき】(和歌山県興国寺)と同筆と認められ、永仁二年(1294)覚心が八十八歳の時に自ら袈裟に記したものと知れる。わが国には中世禅家の伝法衣として伝わる袈裟が少なからず伝存しているが、この袈裟のように所用者が明確で、かつ年紀を有するものは稀少である。