九条袈裟〈田相白地牡丹文顕紋紗/条葉紺地牡丹文顕紋紗〉 くじょうけさ

工芸品 / 

  • 京都府
  • 南宋
  • 1領
  • 京都国立博物館 京都府京都市東山区茶屋町527
  • 重文指定年月日:19900629
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 正伝寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

正伝寺は、中国南宋の兀庵普寧【ごつたんふねい】(一一九七-一二七八)の法を嗣いだ東巖慧安【とうがんえあん】(一二二五-七七)を開山として、文永五年(一二六八)に創建された臨済宗の寺院である。
 二領の九条袈裟は、ともに当寺に相伝された伝法衣で、袈裟箱の蓋裏に貼付された天保四年(一八三三)入記によれば、前者の九条袈裟は兀庵普寧の師である無準師範【ぶじゆんしはん】(一一七八-一二四九)、後者は開山の東巖慧安の所用という。しかし、後者の所用者については、袈裟の環座に「宗覺」と墨書した絹片が後世に縫い付けられており、宗覚禅師すなわち兀庵普寧の所用ともされたようで、いずれの所伝が正しいかは明確ではない。
 前者の九条袈裟は田相に鶴を表現したとみられる鳥丸文の黄色の綾と、太細数本の筋を重ねた格子文の黄色の綾を縫いあわせ、条葉は牡丹や山茶花【さざんか】などの花卉を織りだした白地の顕紋紗【けんもんしや】を用いる。
 後者の九条袈裟は田相が牡丹と芙蓉に山茶花文をそえた白地の顕紋紗、条葉が牡丹と芙蓉を唐草文風にあらわした紺地の顕紋紗である。
 顕紋紗は地の部分が透けた薄手の絹織物の一種。二領の袈裟に用いられた顕紋紗の組織は、いずれも地部分の経糸【たていと】が三本一組となってもじれ、文様部分は緯三枚綾【ぬきさんまいあや】であらわした綾絽【あやろ】風の古様な織技を示している。文様は顕紋紗それぞれに異なるが、牡丹、芙蓉、山茶花など花卉のモチーフを主として、花文は写実的で、文様の構成は唐草文風にのびやかに展開し、部分的に二重蔓を表現したり、葉のなかに小花文をあしらったり、枝に瓔珞を結ぶなどの特色がうかがえる。
 これに類似する文様、あるいは同一組織の顕紋紗が淳祐三年(一二四三)銘の墓誌を伴う福建省福州黄昇墓や十三世紀中葉の江蘇省金壜周〓墓などの副葬品にみられることから、正伝寺の袈裟も十三世紀南宋の絹織物と認められる。これら二領の袈裟は、わが国に伝存する稀少な南宋時代の遺品であり、洗練された写実性と意匠化をみせる南宋絹織物の特色をよく具えた遺例である。
 また、袈裟包【けさづつみ】は一枚が表に幸菱文【さいわいびしもん】の浮織物【うきおりもの】と固地綾【かたじあや】を縫い合わせ、他の一枚が表に花唐草文の風通様倭錦【ふうつうようやまとにしき】、裏に牡丹鳳凰文固地綾を用いている。綾や風通様倭錦の織技、文様から袈裟が請来されてほどなく鎌倉時代にわが国で縫製されたものと推され、わが国中世期の染織遺品として見逃せない。

九条袈裟〈田相白地牡丹文顕紋紗/条葉紺地牡丹文顕紋紗〉

ページトップへ