叡尊が法華寺に宛てた書状である。内容は法華寺の大尼慈善からの書状に対する返事で、仏道に専念すべきことを指示するとともに尼衆老若が和合して学問勤行に励んでいることをたたえ、興法利生のために修学することの必要性を説いている。また、叡尊自身については、「のほり」の時期を夏以降にと考えており、教化活動の成果をあげた後に帰洛するつもりであるから、たとえ遅くなろうとも余念なく修行するよう尼衆に伝えてほしいと述べている。
この書状は、日付に四月十日とあるのみで年紀は明らかでないが、文中に「ふたたひ御ふミまいらせ候き」とあり、二度目のものであること、叡尊が鎌倉滞在中の弘長二年(一二六二)三月十九日に法華寺にあてた自筆書状(西大寺蔵、<建長元年(一二四九)>三月二十一日付書状とともに重要文化財)と署名が極めて類似し、内容についても相通ずる点があるほか、慈善の三月十日付書状を開封するのに四月三日と日時を費していることなどから、おそらくは弘長二年四月十日に、三月十九日付書状に続いて、鎌倉より法華寺の慈善にあてて書かれたものと思われる。
なお、紙背には『理趣経』の摺写の痕跡があって、その経文は西大寺蔵の二通の書状紙背と連続しており、叡尊の没後、消息経として供養にあてられたものと認められる。
本書状は、伝存稀れな叡尊自筆書状として注目され、叡尊と法華寺の関係を明らかにするなど、歴史上にも価値が高い。