奈良時代に光明皇后によって創建された法華寺は、その後一時寺運が衰退したが、鎌倉時代中期に叡尊によって復興に努められた。この法華寺縁起類は、法華寺の草創・復興、叡尊の活動などを具体的に伝えたものである。
『法華寺舎利縁起』は文永七年(一二七〇)に叡尊が法華寺の舎利の由来について記したもので、建治元年(一二七一)、弘安四年(一二八一)、正応三年(一二九〇)の追記も収めている。正応三年に近い時期に叡尊自筆本を書写したものと考えられるが、叡尊の舎利信仰の深さを伝えるとともに、鎌倉時代の南都における釈迦信仰の在り方を示して注目される。
『法華滅罪寺縁起』は法華寺の草創と鎌倉時代の復興に関する縁起で、嘉元二年(一三〇四)十月二十九日法華寺尼円鏡が記したもので、同寺の根本縁起である。文中には「東大寺日記」など現在逸書となっている諸書を引用している点も注目される。
『法華寺結界記』は宝治三年(一二四九)、正元元年(一二五九)、文永二年(一二六五)、および同九年の尼衆授戒に関する史料で、授戒のための戒壇を作るに際して浄域を設定した様子が詳しく記され、受戒した尼衆の名が書き上げられている。叡尊を中心とする尼衆授戒の在り方を伝えた現存唯一の史料である。
『法華滅罪寺年中行事』は鎌倉時代末期における法華寺の年中行事を詳しく記したもので、元亨二年(一三二二)七月に法華寺の尼融施が改定した旨の奥書があるが、本書は貞和三年(一三四七)の追加記事のある本を南北朝時代に書写したものと考えられる。鎌倉幕府要人や遊女の長者の忌日供養のことも記され、当時の法華寺の宗教活動とその支持者を窺わせて注目される。