武家諸法度草稿〈以心崇伝筆/元和二年十月日〉 ぶけしょはっとそうこう〈いしんすうでんひつ/げんなにねんじゅうがつひ〉

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸

  • 以心崇伝
  • 江戸 / 1616
  • 1巻
  • 重文指定年月日:19880606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 金地院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

江戸幕府は、幕藩体制の確立に際して内外に諸政策を布告し、実施した。たとえば、対外的には鎖国令、対内的には武家諸法度、禁中並公家諸法度、寺院法度等を発布し、大名、公家、寺院を統制するなど基盤体制の強化に努めた。
 これらのうち武家諸法度は、大名の日常の心得とともに居城修補の許可や新築の制限、婚姻の許可などを定めたもので、南禅寺金地院の住持で幕政に関与した以心崇伝(一五六九~一六三三)がその起草、制定にあたった。元和元年(一六一五)七月七日に十三ケ条からなる法度を諸大名に発布し、翌年十月には参勤交代など二ケ条を削除して十一ケ条のものに改定した。
 この金地院所蔵の武家諸法度は、元和二年の改定時のもので、崇伝自筆の草稿本である。体裁は巻子装で、料紙には楮紙を三紙継ぎにして用い、本文の首に「武家諸法度」の内題があり、末には「右可相守此旨者也」とあって次いで「元和貮年丙辰十月日」の年紀を存している。各条は個条書きの事書に次いで、その趣旨を二行から七行にわたって記し、第二条には擦消訂正、第九条には小字にて加筆がなされ、本巻が草稿本であったことを伝えている。本文の筆跡は「濃比須般国ヘノ返書案」と同筆で、本巻が崇伝自筆本であることが判明する。
 元和二年の武家諸法度制定に関しては、崇伝の日記である『本光国師日記』にも関連記事がみえ、十月六日の条には「武家之御法度書可相改旨直に被仰出也」とあって改定に際する事情が知られる。
 元和元年制定の武家諸法度(清書、草稿本共)の原本が伝わらない現在、本巻は現存する崇伝の唯一の自筆草稿本として貴重であり、かつ近世法制史研究上にも注目される。

武家諸法度草稿〈以心崇伝筆/元和二年十月日〉

ページトップへ