木造不動明王立像 もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう

彫刻 / 平安

  • 奈良県
  • 平安
  • 1躯
  • 奈良県奈良市登大路町50
  • 重文指定年月日:19990607
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 妙法院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 妙法院護摩堂の本尊である。莎髻(後補)を頂き、髪は毛束を編んだようにし、左耳前に弁髪を垂らす。眉根を寄せ両眼を瞋目、開口し、上歯牙を現し下唇を噛む。顔をやや右方に向け、条帛、裙(折返二段、裾正面は膝上までめくれ上がる)、腰布を着け、腰帯を巻く。左腕は体側に沿って垂下させ持物(羂索)を執り、右腕は屈臂して、右脇腹前で持物(宝剣)を執る。正面を向き、左膝をやや曲げて踵を上げ、足先を開いて立つ。
 左手を垂下させて羂索を執り、右手を屈して剣を持つ通形の不動明王の立像であるが、両眼を見開き、上歯牙で下唇を噛む面相部の表現は教王護国寺講堂の不動明王像(国宝)に先例のある、いわゆる大師様の図像に基づく古様な表現をなしている。
 ヒノキ材と思われる針葉樹材の一木造で、彫眼、頭躰幹部は両足下の〓を含んで一材より彫出する。莎髻(後補)、弁髪は各別材。左腕は肩、右腕は肩・臂で矧ぐ。
 膝までめくれ上がった裙を着けるのは仁王経五方諸尊図中の不動像にみられるが、同様の表現は黄不動にも通じ、天台・真言両方に存在している。さらに足の踵を上げる表現は、長門国分寺像(重文)など数例が指摘されているものの珍しく、毛束を編んでいるような髪もまた他に類例をみない。このように本像は図像的に初期不動像の図像に則りながら、部分に特殊な形式をも用いており、不動明王の図像が定型化する以前の様相を示しているものと考えられる。
 本像の肩や腕、脚部などの肥大した逞しい像容や衣文の明瞭な輪郭線の表現など、その作風には平安前期の特色がうかがわれるが、見開いた眼や剥き出した上歯牙はひときわ大きく表現され、こうした忿怒表現は例えば教王護国寺御影堂像(国宝)に近く、本像はそれをより誇張した感があり、その製作も御影堂像と同じく九世紀後半ころに位置づけられよう。
 護摩堂の前身は、『常住金剛院室縁起』によれば、比叡山常住金剛院で、当院は美福門院(一一〇七-六〇年)の御願によるもので、その後寛文年間(一六六一-七三年)に現位置に移されたものと推定される。本像の製作が常住金剛院創建以前の平安前期にさかのぼることから、他の堂宇から移安されたものと考えられ、そうすれば当初から比叡山に伝来していた可能性も考えられる。こうした伝来やその古様な表現から本像が天台系不動の古例との見方もある。現在表面を後世の古色におおわれているものの、本躰の保存状態はきわめて良好であり、また初期天台の不動の彫刻の遺例の少ないこととともに、その図像的希少性、造形的優秀性は大いに推賞しうるもので古格ある優品とされよう。

木造不動明王立像

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