木造不動明王立像(西園寺護摩堂旧本尊)

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1躯
  • 重文指定年月日:20030529
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 宗教法人鹿苑寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 鹿苑寺【ろくおんじ】不動堂脇壇に安置される不動明王像である。鹿苑寺は、足利義満が応永四年(一三九七)に西園寺家より北山第を譲り受け、北山殿【きたやまどの】造営を行ったのに始まる。西園寺は元仁元年(一二二四)に藤原(西園寺)公経によって創立され、本像は西園寺護摩堂本尊として、翌嘉禄元年(一二二五)に造立された。鹿苑寺となってからも長く当地に伝えられ、近世では石不動を本尊とする不動堂に客仏として安置されている。
 頭髪は現状総髪にするが、毛束(まばら彫)を頭部前半右方に集め、頭頂後半は下から梳き上げる。頂蓮、莎髻、弁髪等はあらわさない。両目嗔目、上歯牙で下唇を噛む(X線透過写真によれば像内頭部下口両端より金属製の牙〈か〉を付ける)。上半身裸形(乳頭をあらわす)にし、下半身に裙を着す。左手屈臂し、掌を上にして持物(羂索【けんさく】)を執り、右手垂下してやや屈臂させ、手首を内側に屈して腹前で第一・二指(第三・四・五指は伸ばす)で持物(宝剣)を執る。顔をやや右に向け、右足をやや踏み出して立つ。立像でありながら左腕を深く曲げ、右手の指二本だけで宝剣を執るという姿は彫像には遺例がなく、白描図像で石山寺本不動二童子像が面相、動勢等のうえで図像的に最も近い。石山寺本を参照すれば当初、右手指二本で剣の柄を摘むようにし、刀身を肩にかけていた可能性がある。
 構造は、ヒノキ材と思われる針葉樹材を用い、頭体幹部は左肩口から裙裾中央やや左寄りに至るやや斜めの線で左右二材に矧ぐ(右方の材で頭部を彫出する)。さらに右方の材は、体幹部材背面肩下あたりの高さで水平に鋸引きをし、体幹部途中まで截り、頭頂より両耳後ろの位置で頭体部を前後に割矧ぐ。内刳を施し、体部背面肩から裙裾にかけて背板(腰やや上で上下二材)を当てる。両鼻孔、右耳孔を各貫通させ、玉眼を外から嵌入する。左手は肩・肘・手首、右手は肩・手首、全指先、両足先を各矧ぐ。両足裏より足内部に丸棒を差し込み足〓【あしほぞ】とする。
 頭部を一材より彫成し、肩口より左右二材を矧ぎ合わせる技法は類例が少ないが、京都国立博物館蔵の二躯の不動明王像(一一世紀および一二世紀)があり、また、材をやや左斜めに矧ぎ合わせるのも木寄法としては変則的だが、三十三間堂二十八部衆像中の散脂大将像(国宝)にも同様な技法が認められ、鎌倉前・中期の慶派仏師などにおいてはさまざまな技法を駆使していることが知られる。ほかにも玉眼を外から嵌める仕口は、山口・源久寺平子重経(沙弥西仁)像(重文)や金峯山寺蔵王権現像(安禅寺旧本尊、重文)などにわずかにうかがえる。
 本像はほかにも特異な表現が多く、頭髪は現状によれば弁髪をつくらず、しかも毛束のみで毛筋をあらわさず鑿目を粗く残している。X線透過写真を参照すると髪際に等間隔に短い釘が打たれており、当初頭部はここに動物あるいは植物繊維の毛髪を貼り付けて頭髪を形成していたものと想像される。また体部は上半身裸形で下半身は裙のみをあらわしているだけなので、この上に実際に条帛、腰布を着していたものと考えられる。頭部に別の毛を取り付ける像は彫像では類例がほとんどなく、また着装像も肖像あるいは神像にあらわされることが多い。阿弥陀如来や地蔵菩薩など仏像の着装像もあるが、不動明王像は新出である。着装像はいわゆる生身【しょうじん】信仰によるものとされ、本像について『増鏡』には「生身の明王」と記されており、近世の記録類にも本像が生身像で貼毛、着装していたことをうかがわせる記述がある。
 西園寺創立期に遡る遺品で、特異な図像、仕様による稀有な作例として、このころの信仰を知るうえでも重要な作例といえる。

木造不動明王立像(西園寺護摩堂旧本尊)

ページトップへ