太華山県先生に与へて講孟箚記の評を乞ふ書 たいかやまがたせんせいにあたえてこうもうさっきのひょうをこうしょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 江戸

  • 吉田松陰  (1830~1859)
  • よしだしょういん
  • 山口県
  • 安政2年9月18日 / 1855年
  • 紙本・墨書・掛幅
  • 本紙縦21.7、横57.2(cm)
  • 1幅
  • 山口県萩市大字堀内355番地
  • 山根家寄贈(山根正次コレクション)
  • 萩博物館

吉田松陰が自著「講孟箚記」への批評を求めるため山県太華に送った書。山県はもと藩校明倫館の学頭をつとめた儒者で、松陰と国家観について論争した。「天下は一人の天下」と論じる松陰の考え方は、日本の対外的な危機に際し、天皇に忠義を尽くす同志を結集することで国防体制の充実を目指すというものだった。この当時、松陰は幕府を軽んじていたわけではないが、山県は幕藩体制の否定につながる危険思想とみなして強く反論した。

太華山県先生に与へて講孟箚記の評を乞ふ書 たいかやまがたせんせいにあたえてこうもうさっきのひょうをこうしょ
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