當麻寺本堂(曼荼羅堂) たいまでらほんどう(まんだらどう)

建造物 宗教建築 / 平安

  • 奈良県
  • 平安後期 / 1161
  • 桁行七間、梁間六間、一重、寄棟造、本瓦葺、閼伽棚を含む
  • 1棟
  • 奈良県葛城市當麻
  • 重文指定年月日:18981228
    国宝指定年月日:19520329
  • 當麻寺
  • 国宝

當麻寺本堂(曼荼羅堂) 一棟

 本堂は伽藍の西端に東面して建つ。建立年代は従来内陣の厨子に仁治三年(一二四二)、同仏壇に寛元元年(一二四三)の銘があるところから、鎌倉時代中期と考えられていたが、昭和三十二~三十五年の修理の際に永暦二年(一一六一)の棟木名が発見されたことによって、平安時代後期の建立であることが判明した。堂は桁行七間、梁間六間の大きな建築で、組物は平三斗、中備に間斗束を置く。内部は四周一間通りを庇として化粧屋根裏を現し、母屋は前二間を礼堂として組入れ天井とする。しかし内陣部分の桁行五間、梁間二間は二重虹梁蟇股の架構をなし、寄棟造の化粧尾根裏とし、さらに内陣後方の柱は現在漆塗であるが、その下の木部には風蝕が著しくみられる。これらの点からみて、この堂は古くから存在した堂を再用しつつ永暦年間に現在の形としたものと思われる。内陣の年代は様式上奈良時代後期頃とみられる。なお本堂裏の閼伽棚は文永年間(一二六四~七五)頃に設けられたものであり、侵秀な蟇股がある。また曼荼羅をかける六角形の厨子及ぴ螺鈿をちりばめた仏壇(国宝)は、平安時代初期を下らぬ頃の制作で、柱の漆絵、軒裏の平文など、まことに優れた工芸品である。ただ表面は仁治、寛元頃の改修のあとが著しい。このようにこの本堂は平安時代後期和様の優作であり、また内陣や厨子に古い部分を残すことも貴重である。

【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)

當麻寺本堂(曼荼羅堂)

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