光浄院客殿 一棟
光浄院は、室町時代に山岡資広が園城寺内の十円坊の跡に建てたのが始めで、現在の客殿は、慶長六年(一六〇一)に建てられたと「光浄院建立覚書」に記されている。山内の勧学院客殿やもと山内にあった護国寺月光殿(元日光院客殿)と同じ様式の建物である。
客殿は、桁行七間と一尺六寸二分、梁行六間、中門部分は一間に二間、背面は一間に三間の張り出しがある。屋根は柿葺、入母屋造、中門は切妻である。東側の車寄の部分の軒に唐破風をつけている。車寄は両折れの板扉とし、その北の柱間には蔀戸を吊る。車寄の南は中門で連子窓と板扉が、中門の落縁には妻戸がある。南側は吹放しの広縁で、西端には上段の間が張り出している。内部は、南北二列に分けられ、南には西から十八畳の上座の間、十八畳の次の間、車寄の六畳が、北には六畳、八畳、十二畳、四畳がつづいている。上座の
間の西側には床と違棚が並び、南側の西端に二畳の上段の間が広縁に張り出している。上段の間には床と付書院がある。
光浄院の客殿は勧学院の客殿とよく似ているが、居間や寝室にあたる部屋がないこと、張り出した上段の間を設けていること、東側の車寄の北を蔀戸を並べて整えていることなどは江戸時代初頭の木割書『匠明』に記された主殿の図に類似していて、古式を意識して整えた近世的な風潮が感じられる。また、上座の間の床と違棚を建物本柱内に取りこんでいるのは新しい技法である。
【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)