大報恩寺本堂(千本釈迦堂) 一棟
大報恩寺は用明天皇の開創と伝えるがのち義空によって中興された。本堂の建立年代は棟木の墨書銘によって安貞元年(一二二七)であることが明らかである。建立後正応三~四年(一二九〇~九一)に檜皮葺き替えを行ったのをはじめ、永享年中(一四二九~四一)、文明年中(一四六九~八七)、延徳年中(一四八九~九二)、永正十七年(一五二〇)、天正十七年(一五八九)、寛文九年(一六六九)、延享二年(一七四五)と修理をかさね、ことに寛文修理には末寺経王堂の廃材を用いて小屋組を改め、本瓦葺とするほか、各所に大変更があった。
堂は桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造で組物は出組をなし、すべて純和様からなる。京都市街中にある最古の建築であり、たびたびの戦火をよく免れ得たことは奇跡的といえる。なお、この堂は昭和二十九年の修理により各部が復原され、ことに小屋組に至るまで建立当初の構造となった。一方、従来江戸時代と考えられていた堂内の厨子も、張木を取り除くと、堂と同年代のものであることが発見された。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)