海住山寺五重塔 一基
海住山寺は奈良時代に良弁(六八九~七七三)によって開かれたと伝える。承元二年(一二〇八)笠置寺から貞慶が移住して寺を中興したが、その弟子覚真が建保二年(一二一四)先師の一周忌にあたり、五重宝塔に仏舎利七粒を安置したのが本塔婆の初見で、塔はこの時完成したのであろう。その後累次の修理があり、その間に初重の裳階の撤去や各重屋根勾配の変更とこれにともなう四・五重目の縁の撤去など、外観にかなり大きな改変が加えられたが、昭和三十八年の修理でこれらはすべて復原され、建物は建立当初の姿に復された。ただ、裳階の屋根は本来の長板葺の上を銅板で覆ってある。塔は比較的小規模であるが、各重とも二手先の組物を用いる点はほかに類がなく、また心柱を初重天井上で止めた技法も現存五重塔では最古の例である。内部の四天柱に囲まれた方一間を厨子様に造り、四方を板扉で開くのも珍しい形式で、当代の舎利信仰を反映したものであろう。四天柱より内部は扉の天部・僧形などの壁画を始め、柱、長押などの彩色文様がよく残されているのも貴重である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)