尊円親王(一二九八~一三五六)が自詠の詩歌を自筆で書写されたもので、朗詠集の体裁に倣って「山花」以下十一題に分かち、各題朗詠七言二句及び和歌一首とする。書風は楷【かい】・行【ぎよう】・草【そう】の各書体に書き分け、末の自筆奥書によれば、南北朝時代貞和五年(一三四九)九月廿三日、某(□喜)の所望によって揮毫された手本で、親王五十三歳の筆蹟であることが知られる。巻末の尊道親王跋によれば本巻は「鷹手本」と称し、證如の「天文日記」同十六年四月十七日條に禁裏より鷹手本を拝授の記事が見えてその伝来を明らかにしている。