木造阿弥陀如来坐像(菩提山神宮寺旧本尊)

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 1躯
  • 重文指定年月日:20030529
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 海徳寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 現在は愛知・海徳寺本尊であるが、明治初年の神仏分離の際に伊勢の菩提山神宮寺から移された。菩提山神宮寺は、奈良時代、伊勢大神宮に建てられた大神宮寺の後身といい、奈良時代末に飯野郡に移されてから史上消息が途絶えていた同寺を平安時代後期に復興したものである。その遺跡は伊勢市中村町にある。良仁【りょうにん】を願主として造立された本像はその本尊であった。
 像内にある長文の銘記によれば、本像の造立は、良仁が願主となり、長承三年(一一三四)に木造り、翌四年(保延元年)に漆工(漆下地)、翌々保延二年に薄(箔)押しが行われたこと、および臨終正念、極楽往生などが願われたことが知られる。良仁の記名の下にある保延二年七月五日は完成の時を示すと考えられる。この時期、内宮、外宮の遷宮が継続的に行われているので、本像の造立は、長承二年(一一三三)九月十六日の内宮正遷宮の後を受けてのこととみることもでき、またその推定に立てば、造立に長期間を費やしているのは遷宮の諸行事との関係において理解することが可能であろう。願主良仁は同時代に同名の僧が散見できるが、同定するには至らない。
 本像は髪際高で測って八尺となる丈六像である。木寄せの基本構造は、頭体を通して前面に左右二材を寄せ、頭部はその後半に二材を矧ぎ寄せ、体部は両体側部材と背中に各数材を矧いで箱状構造とし、肩部に架けられた横材に頭部材を載せるという、この期にあって丈六像に通有の構造だが、特に京都・三千院阿弥陀如来坐像(久安四年=一一四八、国宝)のそれと共通点の多いところは特記される。
 定朝様に則って均整のとれた体格、穏やかな表情であるが、硬さの感じられる体躯、平面的な面相部、あるいは細い衣文線などの特徴は、三千院阿弥陀如来坐像や奈良・阿弥陀堂(湯川区)阿弥陀如来坐像(承安元年=一一七一、重文)に近く、一二世紀における都の三派仏師とは別の仏師の作を推定させる。地方を基盤とした仏師を想定することもできよう。数少ない平安時代後期の在銘丈六像の一つとしてだけでなく、伊勢大神宮寺を継ぐ菩提山神宮寺の本尊としての意義は大きい。

木造阿弥陀如来坐像(菩提山神宮寺旧本尊)

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