木造傅大士及二童子像(北野経王堂輪蔵旧安置) もくぞうふだいしおよびにどうじぞう

彫刻 / 室町

  • 室町 / 1418
  • 3躯
  • 重文指定年月日:20040608
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 大報恩寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 傅大士(傅翕【ふきゅう】)を中に左童子(普建【ふけん】)と右童子(普成)を従える三体である。明徳二年(一三九一)の山名氏清【うじきよ】の乱後、山名氏追善のため足利義満が北野で万部経会を始め、以後恒例となったのを承けて応永八年(一四〇一)に創建された経王堂に、同十九年書写の一切経とともに安置された。平成十三・十四年度の修理時に二童子像内の造像銘記が見出され、一切経書写から六年後の応永二十五年(一四一八)に仏師院隆【いんりゅう】によって造立されたことが確認された。
 傅大士は中国南朝の僧で、輪蔵の制を創設したことにより輪蔵の正面にこの像と二童子像が置かれるようになったという。わが国でも中・近世その遺例がしばしば見られるが、本像はその最も古い作例である。
 二童子像の銘に記される院隆は、他に愛知・瑞泉寺無因宗因像(永享三年〈一四三一〉)や鹿児島・感応寺千手観音像(文安二年〈一四四五〉)の造立に携わったことの知られる院派仏師である。傅大士像の箱形の木寄せだけでなく、三体に共通する角を感じさせる面相部や大きくうねる衣文などは室町時代のこの派の特徴をよく示しているので、二童子像の変則的な木寄せや着衣部の盛り上げ彩色などが異質だが、三体は同作とすることができる。
 本件は書跡の附指定だったが、現存最古の傅大士及二童子像であるだけでなく、最近発見された銘記により室町時代院派仏師の基準作例となったので、彫刻単独の指定とする。

木造傅大士及二童子像(北野経王堂輪蔵旧安置)

ページトップへ