木造不動明王立像 もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 1躯
  • 重文指定年月日:20000627
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 宗教法人金剛峯寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 現在高野山霊宝館に安置される半丈六の不動明王と毘沙門天像で、もと千手院観音堂の本尊千手観音像の両脇侍と伝えられる。不動明王像はほぼ通形の形姿を示すが、毘沙門天像は宝塔を持たない。不動明王・毘沙門天を組み合わせる構成は、天台寺院に多く、遺例の上でも滋賀・明王院像や京都・峰定寺像(共に重文)など平安時代以降の現存作例は多いが、本像は真言系の最古例である。
 両像ともヒノキ材の寄木造で彫眼とし、表面は錆下地彩色仕上げ(一部に布貼あり)とする。不動明王は、頭躰幹部を通して左右二材矧、内刳のうえ割首するか。背面に一材を矧ぐ。両足部は各前面材と共木彫出する。両肩・右臂・両手首、両足先を各矧ぐ。毘沙門天は、頭躰幹部が四材製で、内刳のうえ割首する。両側前後材の間にマチ材を挟む。左足は前後材から、右足は躰幹部前面材からそれぞれ彫出(後半材は割り矧ぐ)。両肩・両上膊半ば(右は袖先を含む)・左肘・両手首・腰部左右に各一材、両足先を各矧ぐ。
 毘沙門天像は頭部が大きいプロポーションで、誇張気味の見開いた目の表現などは著しく古様であり、その製作は一一世紀後半から一二世紀前半ごろとみられる。一方、不動明王像の方は細身となり、いくぶん表現に穏やかさが増すので、毘沙門天像よりやや遅れるころの製作と考えられる。構造のうえからも両像に違いがみられ、製作時期に若干の差があるとはいえ、両像とも動きの少ない温雅な表現にまとめられており、一具として伝来したものである。
 さらに本二像は当初の彩色文様が非常に良く残っていることが特筆される。本像の文様表現は、一二世紀ごろの京都の作例に多い幾何学的で小振りな文様とは異なり、大振りで、切金文様が少なく彩色文様を主体とする。毘沙門天像の表甲と浄瑠璃寺四天王像(国宝)持国天像の裙には、頭部が花弁状になり装飾化した鴛鴦が描かれており、他にも浄瑠璃寺像に類似する文様がある。
 千手院の創立については不明であるが、記録等によれば蓮意上人【れんいしょうにん】(?-一一三二年)が再興し、千手観音および不動・毘沙門天も蓮意の造営になるという。毘沙門天像内に記される結縁交名には「蓮意母尼尊霊」とあることから、寺伝のとおり本像が蓮意上人の造営になることが確かめられる。さらに、同銘記中には「春宮大夫藤原公□」とあり、これを鳥羽天皇の春宮大夫であった藤原公実(一〇五三-一一〇七年)とすれば、彼の春宮大夫在位期間である康和五年(一一〇三)から嘉承二年(一一〇七)ころに毘沙門天像の製作が求められる。他にも銘記中には当時高野山関連の史料に散見する人名も記されている。
 不動・毘沙門天の造像は盛んに行われたが、本像のように平安時代に遡る大作は少なく、製作年代の特定できる作例としてその保存状態の良好さともあわせて貴重な遺例である。

木造不動明王立像

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