この芸能は、長野県下伊那郡の遠山地方の十余か所に伝えられてきている霜月の湯立神楽であり、上村、南信濃村の各部落で十二月上・中旬に日を違えて演じられる。
この祭は、百姓一揆で殺された領主遠山氏一族の怨霊を鎮めるために始められたという伝承もあるが、信州、遠州、三河の三国が接している地帯に、「花祭」、「冬祭」などの同種のものが分布しており、やはりもと修験道の神人が遊行して広めていったものが定着し、これに遠山氏一族の行事が結び付いたものとみられる。
祭場の土間にかまどを築いて湯釜を乗せ、湯の上飾を付け、その回りで湯立、祈祷を行い、さらには「火の王」、「水の王」、「天伯」などの神面を着けた舞が厳粛な雰囲気を保ちながらもにぎやかに行われる。三信遠地方に分布する湯立を中心とした霜月神楽の一典型であり、芸能史の展開をひもとくためにも貴重な資料を提供しうる神事的な芸能である。