椿山【ちんざん】(一八〇一~一八五四)は崋山より八歳の年少で、つとに崋山に親炙【しんしや】し、その画法についても学ぶところ甚大であった。椿山画としては崋山・靄崖【あいがい】の肖像(重要文化財)が著名であり、よくその人間性に迫っているが、本図巻は旅中の印象を丹念に写生したスケッチ帖として、江戸時代画人の平常心を知るに足るものがある。文政十年(一八二八)六月に江戸を出発したかれは、中仙道を京に上り、伊勢路を廻って東海道経由帰途についた。本図巻は文晁【ぶんちよう】の「公余探勝図巻」、崋山の「四州真景図巻」などと共に、江戸時代に盛行した真景図の一本で、写生を基本とする作画態度には西欧画の影響を見のがすことができない。