方丈障壁画

絵画 / 安土・桃山

  • 桃山
  • 重文指定年月日:19930120
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 正伝寺の方丈は、南禅寺金地院【こんちいん】の最岳元良から寄付された御成御殿【おなりごてん】を方丈形式に改めて、承応二年(一六五三)に完成した(『正伝寺文書』・『金地日録』)。さらにその御成御殿の前身は、元和九年(一六二三)に大坂城内に仮殿として建てられた殿舎であり(同前および『本光国師日記』・『時慶卿記』・『徳川実紀』)、すなわち慶長七年(一六〇二)から同十年(一六〇五)ころまでに造営された伏見城本丸の御殿のひとつが転用された建物であったと考証されている(『中井家文書』など)。
 方丈の障壁画は、移建・改変に伴い、少なからぬ配置換えや切り継ぎをこうむっているが、図様の連続性を大幅に損なうには至らず、仏間と下一之間を除く四室に描かれる、西湖の景観を含む「楼閣山水図」五十八面は、桃山時代の楷体の山水図障壁画として、すぐれたできばえを示す。その楼閣・樹木・人物・岩などの形態や描法が狩野山楽(一五五九-一六三五)筆「楼閣山水図」(六曲屏風一双、京都府・妙顕寺蔵)および「帝鑑図」(六曲屏風一双)などと同じ特徴を持つところから、山水図の筆者は山楽自身を含むその一派と推定される。
 桃山時代の障壁画で本図のような山水図の遺例は非常に稀であり、しかも制作年代が限定できる点、また図様の一部が元代李郭派【りかくは】の山水画や伝雪舟筆「四季山水図」(一巻、昭三二・二・一九指定重要文化財、京都国立博物館保管)を参照したことをうかがわせる点で、狩野山楽の遺作の中でも注意すべき意義を持つ。方丈は明治三十七年二月十八日付で建造物の重要文化財に指定されているが、以上の価値を考慮して障壁画を美術工芸品として指定し、一層の保存を図ろうとするものである。なお、仏間の「草花図」と下一之間の「菓子図」は、「楼閣山水図」とほぼ同時期のものと思われるが、附【つけたり】指定が妥当であろう。制作時期が下る下一之間の「子猷訪戴図【しゆうはうたいず】」(襖貼付四面)および磨滅の激しい杉戸絵は、指定対象外とする。

方丈障壁画

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