大安寺は、応永元年(一三九四)創建、現在地へ境内を移したのは元和元年(一六一五)の兵火の後、慶安年間(一六四八-一六五二)のことと伝える。これら障壁画の存する本堂は、建造物として重要文化財に指定されており、伝承によれば納屋助左衛門旧宅を移建したものとされるが確証はない。障壁画は内部四室にわたって描かれているが、移建に伴う画面の混乱は少なく、当初の構成をよく伝えている。上間の水墨画による西湖図と他三室の金碧画とでは筆致が異なるが、同時期のものとみてよく、いずれも狩野派の手により十七世紀前半期に描かれたものと推測される。なお、下間二之間の白梅図は江戸中期の補作であり、また、杉戸絵は剥落が甚しいため附指定とした。これらは、中世末より近世初頭にかけて繁栄を誇った堺地方にのこる唯一の障壁画の遺例として、注目すべき作品である。