曼殊院はもと洛中公家町の京都御所東北方にあったが、明暦二年(一六五六)曼殊院二十九世良尚親王の時、現在の一乗寺に移建された。現在の建物の多くはこの時に移建されたもので、そのうち玄関は竹内門跡と称していた建物を移したと伝え、現在の障壁画も当初のものと考えられる。
本障壁画は虎の豪放な生動感ある描写、林立する竹幹の力強い構成、竹林にかかる金雲の形などには桃山期の金碧障壁画の特色が窺われ、筆者は明らかにしないがそれら描写様式よりみて当代狩野派の画家の手になるものと考えられ、竹林群虎の図の中でも生彩を放つ遺例といえる。